梅の実たわわ。
庭の梅の実がふっくらとしてきました。今年もたわわになりそうです。実は私は梅干が苦手です。酸味のある、すっぱいものが全般的に苦手なのです。ですが、先日 京都で冷たいお蕎麦に梅干が入ったお食事をいただいて 今まで出会ったことのない味にビックリ。なんともさっぱりしていて、それでいてマイルド。すっぱいイメージしかなった梅干がこんなに美味しいなんて、食欲増進です。いつもは たわわになる梅の実にげんなり気味なのですが、今年はちょっぴり梅干が楽しみです。
蒸し暑い日が続くとさっぱりとした食感は のど越しもよくついつい食べ過ぎてしまいますよね。それでも、夏風邪をひいて食欲がでない時のことを思えば、食べすぎるぐらい食べれることは健康で幸せなことかも。
夏が近づくと薄着になるのでダイエットをしなくては!と、この季節は心に誓をたてるのですが、毎年現状維持です。予期せぬ減量もなければ増量もなし。なにごとも大過なくというのが一番の幸せなのでしょうね。梅の実がたわわになっても、たわわでなくとも実が一つもならないことなど 今までなかったので 梅の木を心配したことなどありませんでした。人ならば「私を心配して」のように わざと悪態をついたりすることもあるのでしょうが、その点植物は素直です。
昔から「松竹梅」とランク付けの指標とされてきた言葉があります。実際のところ松竹梅に優劣などなく、その木の大きさから 松は見上げて、竹は見比べて、梅が見下げてなどと云われることもありますが、見下げられるからといって梅ランクが低いことなど梅に対して失礼なことです。そんなランク付けをされたとしても悠々と人のために実をたわわとつけてくれる梅は、さすがです。
御祝ごとも、本当は心からお祝いしたいけど なんだか自分と比べてお祝いするほどのことでもないかも・・・なんて心が卑屈になっているときはありませんか?お祝いごとは その人を祝うためだけのものではなく、自分を祝う意味もあります。大らかな気持ちで、梅の実たわわのごとくお祝いしましょう。美味しい梅干は 人の心に強く残るものですよ。(→長寿を祝う松竹梅のフォトフレームはこちら)