コロナ禍が教えてくれたもの
当たり前が当たり前でない時代に。
2020年に全世界的に発生したコロナで私たちの生活は一変しました。それは、働き方そのものを変えたり、趣味や行動を制限したりと、生き方そのものを変えさせられ、ニューノーマルという生活を強いられるようになりました。
そんな中でオンラインが発達し、非接触で習い事や仕事、飲み会も行われるようになりましたが、どれほどネットが快適に動いたとしても定着しきれなかった理由として、オンラインでは得られない人の温もりがあったと思います。
それまで当たり前に感じることができた他愛もない会話からうけることができた心のゆとり、ちょっとした誰かの笑顔で癒されるストレスの解消、何気ない気遣いで得られる自分が大切にされていると感じる自尊の心、当たり前に得られていたちょっとした幸福の積み重ねがいかに心の支えになっていたことか。
大切なことほど後回しに
コロナもいつか収まりニューノーマルな生活をベースにした日常が戻ってくるでしょう。そういった日常の中であのコロナ禍の時に感じたちょっとした人の温もりの有難さも忘れ去られてしまうのかもしれませんね。
だからこそ、まだ忘れ去ってしまわないうちにその大切な温もりを心に刻んでおくことが大切だと思うのです。会えないことのジレンマはいつでも会える状況に戻ると会わなくても平気になります。でも、会えないから感じたその寂しさは本当のあなたの心なのです。
忙しいからという理由でご両親やお友達と疎遠になっている人がいます。本当は大切にしなければならない人をいつでも大丈夫と後回しにしていませんか。それはきっとその大切な人への甘えなのです。
チャンスはもうすぐやって来る
自分のことを大切に思ってくれてる人にほど甘えてしまいます。「これぐらい許してもらえるだろう」という気持ちがどこかで働きます。それが積み重なって、だんだんと足が遠のきます。でも心は自分の中でとても近い存在として感じているのです。
よく街角インタビューで何年も両親に会っていないや、兄弟姉妹とは疎遠だという人がいます。会わなくとも何も関係は変わらないと願う自分勝手な解釈なのに、相手も同じ解釈をしていると思っているのです。
それぞれの家族の形があり、会うことだけが幸せの形ではありません。でも、このコロナ禍を機に会っておけばよかったと思った人に会う準備を始めましょう。それは一ヶ月後や半年後、年末や一年後でもいいと思うのです。合わなかった期間が長いほど準備期間も長くかかるものです。お誕生日や母の日、父の日、クリスマスなどはその機会を与えてくれるためにあるのです。
最近では郵送やデリバリーのシステムが便利になり、通販の発達で人と会わなくても生活することができるようになりました。でも実際はその配達してくれた人の温もりにふれ、配達員さんへの投げ銭やチップという仕組みが作られたり、配送業者もその丁寧さから選ばれる時代になりました。
配達員さんは単にモノだけでなく、送る人の想いも一緒に運んでくれているのだと思います。いつかそのシステムも置き配となり、ドローンや無人車が配達する日もくるでしょう。そうやってどんどん非接触・非対面の場面は増えてくるでしょう。だからこそ、会うことの大切さが重要になり、そのことが自分の心の栄養素になっている気づくのです。さあ、あなたも大切な人に会う準備を今日から始めませんか。