その勇気にエールを送って。
飛びたつタイミングは人それぞれ。
人がなにかを決意するときは 人それぞれです。でも、卒業式だったり、入学式や入社式 または退職や入社など、特別な一日が思い出深い日として記憶に残ることが多いのではないでしょうか。
小学校の卒業式よりも高校の卒業式と現時点に近いほど思い出深かいとは限りません。スポーツ選手などは小学校の卒業時に大きな決断を胸に秘める人もいますし、研究者は大学院を修了するときに、その道に進むことを決意する人もいます。
ただ、なにかしら決意した人は、その時は不安が大きいながらもその成長はめざましいものがあると思います。人生において決意することほど、不安なことはないでしょう。なんの保障もなく踏み出す勇気は、まるで大空に向かって飛び立つヒナのごとくです。
その決意が大きいほどかっこいい
子供の頃、夢見た世界はバラ色でした。たとえば「プロのサッカー選手になりたい」や「宇宙に行きたい」「アイドルになる」など。もちろん、夢にむかって突き進む人もいれば、だんだんと手の届く範囲の夢に変更したり、もっと現実的になって夢を描くことさえ忘れてしまいがちです。
でも 夢を描かないことも一つの決意であり、大人になるほど 夢ほどではないちっちゃな成功をたくさん積み上げることが成功者と呼ばれたりします。「マイホームを買う」や「起業する」、「趣味を続ける」、「体力・健康を維持する」なども決意があっての叶った夢のカタチです。
でも、そういったちっちゃな成功は いろんなことを経験して残った結果です。いま 夢をカタチにかえようと決意した人には、その夢を共に応援したいものですね。
夢をつばさにのせて。
小学生が「宇宙に行きたい」といって それを否定する大人はいるでしょうか。行ける・行けない、は別にして、その夢を応援するのが大人の対応です。それが、社会人が「宇宙に行きたい」となると、お金はどうだとか、危険だとか、応援以前の話となります。
自分のベクトルにその人を合わせるのではなく、その人のベクトルがより進みたい方向に伸びるように手助けできる人こそ、その人自身も夢を持っている証といえるでしょう。
どんな小さな夢もそれをカタチにしたいと願う決意から始まります。そうやって始まった夢は、多くの人の助けが集まって翼となり飛ぶことができるのです。あなたの近くに夢を語る人はいませんか?その想いを翼に託して、一緒に飛んでみましょう。
夢を語るのが難しい時代になりました。検索やシュミレーションでその夢までの道のりが困難だと感じるとトライする気持ちさえ萎えてしまいそうになります。だから「私もこうなりたかった」と語れるだけでも夢に挑戦した証だと思うのです。
昔より夢を語るのが難しいいまだからこそ、どんな小さな夢も応援してあげたいものですね。大人はどんな夢も応援できるというかっこよさを翼に託してアピールするのもありかもです。