自分のルーツである祖父母へ
親とは違う存在
花の名前や動物の名前をたくさん教えてくれたおばあちゃん。共働きをしている両親の下で育った人には、おばあちゃんやおじいちゃんは両親とは違う特別な存在なのではないでしょうか。
最近のおばあちゃん、おじいちゃんはひと昔前とイメージが変わり、若々しくなりました。「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶには憚られるぐらい元気なイメージがあります。
ですが、孫が高校、大学を経て、社会人となる頃には、否応なしに祖父母が衰えてくるのは事実。いつまでも幼い頃 可愛がってもらったイメージのままでいるとそのイメージとのギャップに苦しむことに。時々は祖父母に会って、様子伺いをしてみませんか。
大切な人の老いは見たくない心理
自分はもちろんのこと、親や祖父母の衰えは目にしたくないものです。20代も後半になると身体の成長も止まり、疲れが溜まることを実感することもあるでしょう。もし、疲れを実感していないなら、それは自分自身を隠しているのかもしれませんね。
両親や祖父母の疲れた顔をみたことがないと思っているのは、そう思いたいだけであって、年齢を重ねると体力は次第に落ちてきます。でも、孫や子供たちに心配をかけたくないと思う心が、そんな疲れた顔を隠させているのです。
「老い」や「衰え」は敵のように思いますが、老いてからこそ備わる心もあります。それが両親とは違う存在感を一段と強くしています。大切に自分を見守ってくれた祖父母の老いはツライですが、それでも誰しも通る道。元気な時にいっぱい会っておきたいものですね。
祖父母の姿は未来の自分
両親はもちろんのころ、祖父母とも血のつながりがあります。どれほど、違ってみえても、年齢を重ねて似てくる部分もあります。子供の頃は、まったく違う存在のように思っていた両親と祖父母がふとした仕草でみせるよく似た行動や表情。それはあなた自身にも起こりえることなのです。
誰しも未来を予測することは不可能です。でも、両親や祖父母から自分自身の健康や癖を予測することは可能です。育ってきた環境は一定のよく似た行動パターンを作ります。お箸の持ち方や靴の脱ぎ方など、そんな細かな行動パターンが考え方や人との接し方の元となり、自分自身を作り上げて行くのです。
そして大人になると、それを反面教師として学習することもできます。祖父母の体調の悪いところは将来あなた自身にもでてくる場所かもしれません。それならば、未然に今から予防しておけば防げる体調不良もあるのです。でも、そんなことを知ることができるのは祖父母と会うからこそ知りえます。敬老の日はそんな未来の自分である祖父母に会いに行きませんか。
若い時は、「両親のようになりたくない」と思うこともあったでしょう。性格や行動は自分の意志である程度修正できますが、体格や身体の状態などはイヤでも両親や祖父母に似るものです。眉のカタチや目元、自分自身が年齢を重ねるたびに親と似てきたなあと思う部分はありませんか。そんな自分自身のルーツである祖父母に贈る敬老の日祝いのプレゼントに刻印するポイントは
タイトルは敬老という言葉より「ありがとう」 など。
いかがでしたか。敬老の日は9月の第三月曜日を祝日で定められており、その日自体に意味はありません。なので、その敬老の日に、過ぎてしまった祖父母の誕生日祝いをするのがよいと思うのです。88歳の米寿のお祝いや90歳の卒寿のお祝いなど、誕生日を前後しても誕生日プレゼントとして敬老の日にプレゼントしてはいかがでしょうか。そういった意味でも敬老の日は祝日でお休みだと思うのです。