私が住んでいる町にはJRの駅がありません。また、バスも町内は通っていません。なので、公共の交通機関を使って市内や町内を移動することはほとんど無理に近い。流行りのポケストップ前では歩行者よりも車が停まっていることが多く、近くのコンビニはコンビニ店舗の広さより駐車場が数倍広いのは当たり前のこと。
それでも夜空を見上げると雲のない夜は星が降り注ぐとはこうゆうことかと思うほど星々が夜空を飾り、新緑の季節には山が笑うということはこんなにも山が賑やかにみえるのかと思うほど自然に恵まれています。自然が豊かであるということが当たり前で暮らしているので、実はファミレスに入ることが緊張だったり 自動改札機にICカードをかざすのが不安だったりします。(2016年現在で県内に自動改札機がないのです)その地方・地域でそれぞれの暮らし方があり、その中で住まう人たちにとれば当たり前のことが、一歩地域をでればそれは当たり前でない状況に陥る話はよくあることです。
贈り物の世界も同様です。ガラスの贈り物は壊れるからダメだ、赤い贈り物は新築祝いに向かない等々。そういった言葉を知ればしるほど、ギフトカードやカタログギフトなど利便性がある贈り物を無難に選ぶようになることでしょう。でも、それは本末転倒ではないでしょうか。たしかにガラスは壊れますし、お祝いごとにカラーがあるのは事実です。ですが、「感謝の気持ちを伝えたい」や「お祝いの心を届けたい」といった思いが募ったカタチが本来の贈り物のカタチです。
贈り物を贈る相手が存在することを喜びに思い、また贈られた人もその贈った人の心内を知り幸せに思い、贈り物はそうやって人と人の縁を絆で結ぶカタチの役割をはたしているものだと思うのです。便利な世の中になり顔を会わさずとも贈り物を贈れるようになりました。また贈った日時も運送会社から通知されるようになり、贈り物が届いたことを先方に連絡せずともいいようになりました。電話一本の時代からメール一通の時代になり、その人の声や文字すら目にする機会は減ってきました。だからこそ その現代の当たり前から一歩踏み出した贈り物が人の心を温かくし、人と人との交流を復活させる役割を果たすようになってきたと思うのです。
きっとその代表格が名入れギフトだと私は思っています。あなたが当たり前に思っている贈り物から一歩踏み出した贈り物を贈ってみませんか。きっとそれは新たな絆づくりのスタートとなることでしょう。(ハートが結ぶ絆のビールグラスはこちら)