あっと、いう間のお正月三が日。
今年はカレンダーのせいからか、早く感じますね。まだお正月気分が抜けないのに 明日からの仕事のことで頭がいっぱいになります。そんな短い日程のお正月なのに、実家から「今年は帰ってくるの?」などと聞かれた日には 、子供の頃に言われてた、
「勉強しなさい。」や「部屋の片づけをしなさい。」のフレーズが頭を過り
心ならずも「いや、今年は止めて 夏に帰るね。」と言葉を濁してしまうものです。
その一言さえなければ、自分でも自ら進んで帰っていたと思うのです。ですが、その先回りした一言のためについつい気持ちがダウンする。そうゆうことはないでしょうか。もちろん、親は単純に「元気にしてるかなあ~」ぐらいの軽い気持ちと思うのですが そこはいつまでたっても親は親、子供は子供ということなのでしょうね。
ですが、同じ声掛けをおじいちゃんやおばちゃんからされるとどうでしょう。素直に「今年も帰るね。」の一言がでてきます。元気そうにみえてもおじいちゃんやおばあちゃんの身体は、孫にとって心配なもの。融通がつくなら顏を出したくなるというのが心情というものでしょう。当たり前のことですが、おじいちゃんやおばあちゃんは お母さんやお父さんの親なのですよね。おばあちゃん、おじいちゃんに会いに帰ることがそれだけですでに親に対する親孝行になっているのです。
私の住んでいる地域では、三世代同居も多く、私たちの世代は子供は自分の親や同居の親が面倒をみて育ててくれました。私の娘たちも幼稚園のお迎えや晩御飯の支度、お風呂に入れることまで 色々と手伝ってもらいました。私自身は祖父母と接することがほとんどなかったので、全面的に孫を受け入れる姿を見て うらやましく思ったものです。そういった積み重ねがあるからこそ、おばあちゃん・おじいちゃんの言葉には素直に反応するのでしょうね。
おばあちゃんやおじいちゃんの存在は、ただそこに居るだけで安心できる存在です。親というものに対して、子供はいろんなことを要求し親も子供に対して押しつけをします。もちろん、そこには愛がある教育でもあるわけですが、無条件で自分を受け入れられる感覚を得やすいのはおばあちゃん・おじいちゃんからでしょう。なので、私たちがお作りするガラスがそういったおばあちゃんやおじいちゃんの傍に飾られているかと思うと本当に、嬉しく思ったりするのです。おじいちゃん・おばあちゃんのお誕生日祝いに→こちら