丁寧に。
ハンドメイドの良さが分かってきたの大人になってきてからです。なぜなら、育った時代背景もあるのでしょうが、高度成長期時代において「手作り」=「モノが買えない」のような考えがあったからです。昭和の時代は 洋服も料理も家庭で作ることが当たり前で、(それは逆に欲しいモノが売られてなかった時代)今のようにモノが溢れるようになってきたのは昭和後半の頃。溢れたモノの中から自分の好みに合うものを見つけ、買うことが一つのステイタスでした。
溢れ出したモノは価格競争を生み、大量生産・大量消費の時代では 安く買うことが美徳のようなところがあったかと思います。ダイソーやニトリ・ユニクロなど、それまでの家具や洋服の概念さえも崩しだした。そして今 それらは個々のセンスの時代になってきたかなと思っています。
例えば、安い浴衣帯を 着物では帯1本締めることが常識なのに 3本位締めてみる。それは、安い帯だからできる挑戦。安いスタンドミラーに自分らしくシールやナイフなどでデコってみる。これも家具を「一生もの」と決めて購入していた世代にはなかなかできない挑戦です。
10年20年、修行した寿司職人より、「センスと舌の感覚」が優秀な寿司職人の寿司が上手い。といった内容の記事を読みました。なるほどなと思ったのですが じゃあ、その「センスと舌の感覚」の良い人がどれだけいるのだろうと思ったりします。また、そういった感覚のよい人がずっと寿司の世界でいるだろうか?とも疑問に思いました。もちろん、後の世に名を残す人はそういった「勘の良さ」を持ち合わせたうえで「努力」し「継続」される人なのでしょうが。
私は決して器用な方じゃないし、不器用からのスタートですが だからこそずっと同じことを続けているし、ちょっと手を抜くとすぐに下手になってしまうことを知っています。それは日々の筋肉トレーニングとも似ているかもしれませんね。今私は、ハンドメイドは、上手・下手でなく「丁寧さが命」と思っています。だからこそ、年末・年始も休むことなくガラスを触ることで「丁寧」に、作ろうと思った年の瀬でした。