菜の花をいただきました。食べちゃいましたけど(^^)v少し苦味のある春野菜を食べると、「大人になったな」と思います。わらびやぜんまいを、美味しいとは感じなくともあく抜きして食べる手間暇を愛おしく感じますし、白髪ネギやみょうが・シソをいただくときは気持ちにゆとりさえ生まれます。
小さい頃から好き嫌いの多い子供だったので、目に前に旬の食材をつかった料理が並べられていても 心の中で「ハンバーグの方がいい!」と思っていたものです。母親が新じゃがで肉じゃがを作っているときも その横で「カレー~カレー~」と、カレーコールを送り、食材そのものの味を無視したお子様メニューをリクエスト(笑。味などあまり気にしない子供でしたが、一人暮らしを始めて お料理の本を初めて手にした時に思ったのは 「美味しいそう!」より、「キレイ!」。なんとお料理のカラフルなこと。あの「美しさ」は衝撃でした^_^;
今でも私の料理の美味しさは 色のバランスで決まると思っています。例えば、パスタにモッツレラチーズを入れた時に溶けてしまったら美味しいとは思わない。白いお豆腐のようにモッツレラチーズが原型を残していれば美味しいと感じます。焼肉よりもステーキ。焼肉にはお肉を焼く楽しみはありますが、クレソンを一枝を添えられたステーキは格別。できることなら付け合せは 白いジャガイモに赤い人参を黄色のコーンも捨てがたい。
お野菜は彩のためだけでなく、お料理の味を引き立ててくれたり消化を助けます。子供の頃はそんなことなど考えずに お腹がいっぱいになることが最優先事項でしたが、いただいた菜の花を手にしたときも「菜の花を摘むのが大変だよね。お天気がいいとすぐに花が開いちゃうし。」と、年齢を重ねると余裕の発言ができちゃいます。そのモノのお味を舌で覚えて、収穫の風景さえ頭に描けるようになれば、自然と野菜への愛着も生まれるというものです。
私は、最初サンドブラストというガラスの加工から入りました。加工さえできればいい、それだけで美しいと思っていた時期もあります。でも今はその素材であるガラス素材の気泡やキズ・歪なども愛おしく感じます。それはそのガラス素材の作り手が どうしてそうゆう風になってしまったか想像することができるからです。逆に、どこで手を抜いたから、そうなったのかも想像がつきます。そんなすべてをひっくるめて 良いガラスを作れればと思うのです。(画像のガラスを使って作ったガラスは
→こちらで、こんなものができるのです^_^;)