真っ白な紙に墨で文字を書く時と同じように、ガラスに文字を彫る時はとても緊張します。書道も同じでしょうが、墨を最初に落とす時が一番緊張して、半ばごろは少しリラックスできて、最後の方はミスしないよう慎重になる。条幅の半紙にお習字したのは小学校の時だけでしたが、あの緊張感はいまでも忘れられません。
それと同じぐらい1枚のガラス、1つのグラスを彫る時も最初の吹き付けが一番緊張します。半ばごろは少し気が緩み 最後は無事完成するよう慎重になる。ガラスに砂を吹き付けるわけですから 強く吹き付けすぎると文字が飛んでしまいます。英語のeの中や画数の多い漢字など 直線で囲まれた文字より 曲線で囲まれた部分が難しく、その線で囲まれた部分を白くブラストしてしまうと 最初からの作り直しになります。
でも、この緊張感があってこそ、丁寧に真摯にガラスと向き合う時間が生まれます。誰かが大切な想いを伝えるために考えられた文字を丁寧に彫る。その文字数が多いや少ないなど関係なく、誰かの想いが込められたメッセージがそこにはあるから それを伝えたいという願いにも近い想いがわたしたち作り手にも生まれます。
よく心が体を動かす、体が心を動かすというように 心と体は一体ですが 体は目にみえるのに対し、心は目に見えません。体の痛みは血が流れたり、腫れたりしますが、心がどれだけ深い傷を受けたかなど測ることはできません。相手がどれだけ喜んでいるのか、悲しんでいるのか、顔の表情から読み解くことができたとしても それは読み解く側の技量にもよります。
だからこそ、「これを贈れば喜んでくれるだろう」と思うことは相手を信じ、自分を信じる境地にも似ています。「ありがとう」とう言葉はとても重宝な言葉です。「ありがとう」と言われて嫌な気持ちになる人はいないでしょう。贈り物も同じです。何かしら物を贈られて嫌がる人はいないでしょう。でも、その「ありがとう」の言葉はそれを発した瞬間に消えますが、贈り物は漢方薬のようにずっとその人の心に染み入ってきます。受け取った時は、「こんなものいただいて・・・」で終わるかもしれません。ですが、その贈り物を飾って眺めているうちに 贈ってくれた人との関係やその人の気持ちなど様々な憶測をするのではないでしょうか。そしてその憶測が温かい気持ちとなって、いつしか強い絆になって行くのだと思います。
ガラスに刻んだ文字は消されることはなく、あなたの相手を思う素直な心となってずっとカタチとして残るのです。「おめでとう」や「ありがとう」の想いをカタチに。多くの絆で結ばれる人生は、きっとあなたを幸せにしてくれることでしょう。(絆を強めるガラスのフォトフレームはこちら)