私は人に「贈り物ができる幸せ」を伝えたいなあと思っているわけですが、きっと最終的には、人に贈るのではなく自分に贈り物ができる人が一番幸せなのだろうなあ、と考えたりします。でも、それって難しい!頑張っている自分を知っているのは自分だけど、それと同時にズルしちゃう自分も一番知っているから なかなか褒めれない(^_^)
自分もそうですが、親しい人ほど褒めづらいものです。古今東西、親子関係のもつれは在るもの。大好きな人といえども血のつながりがなければ、さほど縁を切ることは難しくなく 両親との確執や子供との摩擦はいつの時代も心を煩わせる出来事として取り上げられますよね。
それでも、逆に縁を切れない相手だからこそ仲良く歩み寄ろうと思うのが大人のマナー。特に年老いた両親の姿を垣間見たときなどは胸がキュンとなるものです。私などは自分自身が小学生の子供の母親から大学生の娘の母親に上手に年を重ねることを目標にしているのですが、それでも子供の目からみれば 口うるさい時小学生の時の母親のままのイメージが強かったりします(^_^;
さすがにまだ娘から「お母さん、頑張っているね」なんて労われるとうれしさより軽いショックを覚えますが、それでもその一言で子供の成長を確信したり、自分の子育ては間違ってなかったんだなあなんて内心ほくそ笑んだりします。親に対しても金婚式を迎えるくらい顕在なのですが、両親のイメージは自分が小学生の時に旅行によく連れていってくれた姿だったりするので、ちょっとした外出を億劫そうにしている親を見ると淋しく感じます。
なので、「いつまでも元気でね。」と親や、「これからも頑張って。」と子供たちに贈り物を贈ることは親や子供に対して 自分自身がとても正直で素直になっていると思うのですよね。親子だからこその確執は、そのイメージの擦れ違いが原因であったりするわけで、本来お互いを思いやる気持ちは、血縁だからこそピュアなものがあると思うのです。ほんのちょっとしたしぐさや口グセ、物事のとらえ方が親に似ているなあって感じることはありませんか?親子だからこそ、照れもあるけど、その照れを克服した自分は褒めるに価する大人です。親や子供たちへの贈り物を贈ったあとは、必ずそんな感謝の気持ちを持った自分にも贈り物を贈りましょう。ほんと、頑張っているよなあ、自分って(笑)