真面目な話。
今日は1.17.20年前に阪神淡路大震災の起こった日です。死者6,434名の大惨事。東日本大震災についで戦後2番目に大きい震災ですが、私の住んでいる場所が淡路のすぐ隣の県であったり、学生時代よく行った場所でもあるので、申し訳ないですけど 震災といえば阪神淡路大震災の方が心に強く響きます。
当時 私は出産まであと2週間という身重であったこともあり、日々流れてくるニュースの神戸の惨事を伝えるテロップは心痛めるものでした。それでも、2歳だった長女が傍にいたこともあって、「自分がしっかりしないと。」という意識はかなりあったと思います。なにせ、地震発生直後は我が家も大きな揺れに見舞われ、思わず娘を抱きかかえたりしたものですから 「何があっても守る。」という気持ちは強かったですね。
私が東日本大震災の第一報を知ったのはフェイスブックからでしたが、20年前は情報収集はほぼテレビやラジオからのみ。また、安否確認も固定電話がほとんどでした。今と情報網が違う環境なので、当時のことを知らない人たちにその時の受け止め方を伝えることは難しいかと思うのですが、今も昔も変わらないのは 人が受けた心の痛みでしょう。情報が正しいか、正しくないかも含めて事実は時とともに分かってきます。実際に震災の被害に見舞われたかどうかにかかわらず、6,434名の命が一瞬で無くなったことを知ることは 少なくとも当時の大人たちは胸が痛みました。
失われていく命の名前がニュースに流れて行く日々のなかで、私は次女を出産したわけですが、その時の気持ちは長女を生んだ時とはまるで違うものでした。淡路の被災地まで車で1~2時間の距離にあるということもあり、赤十字病院では医師も看護師も手薄な状態でした。顔を合わす人々の会話も災害の話しばかり。そんな中で母親になるということは 平穏な時に母になるよりも「命を守る覚悟」が必要でした。
命は神様が授けてくれたものだと私は思っています。命が失われる時は その生きた歳月にかかわらず役目が終わった時。それでも突然の死は、本人の心残りや、家族や周りの人間の悲しみなど果てしなく続けさせることでしょう。死は免れないものとしても せめて突然の死に至らぬよう守っていきたい、そう強く思ったものです。阪神淡路の震災復興は心より願ってやみません。そして、6,434名の命が教えてくれた「命の重み」を感じ、伝えることはあとに残された人の役目だと思うのです。
災害や事故、病死 自死も含め、命はいずれ消えるものです。それでも、その瞬間まで誰かが自分のことを強く思ってくれていると信じる心は、どんな環境においても人を強くします。その思いをカタチにしたいと私は1.17がくるたびに心するのです。