私は毎日、たくさんの贈り物をいただきます。えっ、誕生日か、それとも何か表彰でも??いいえ、毎日変わらない日々の連続ですが、収穫の秋ということで、柿やナスビ、サツマイモに梨などをいただきます。なにも買ったものではなく、家で成り過ぎたからという理由だったりするのですが、それでもサツマイモはスイートポテトに変身してやってくることもあるし ナスビのジャムというのもいただきました。
「贈り物が多くて」というと、高級なお菓子やロースハム・缶詰などを想像してしまいがちですが、それはそれだけその人が多くのものを贈っているという証しのようなものです。その人の贈り物はモノだけではなく、誰かを紹介したり、何かを買ったり、良い話を持ちかけたりといったことかもしれません。
でも、自然は平等です。何も自然に贈らなくても自然は多くのものを私たちにプレゼントしてくれます。たとえば、帰りの夜道 スマホの懐中電灯が欲しいほど暗い夜道なのに、月明かりが照らしてくれる夜。何気なく毎日歩く道にこの季節だけかぐことのできる金木犀の薫り。寒い日中のはずなのに 窓越しの太陽の陽だまりはポカポカと足の先まで温めてくれます。
神様が与えてくれる才能や自然が施してくれる贈り物を英語ではギフトといいます。そんなギフトに心が敏感になると、誰かの言葉さえも、自分にギフトを与えてくれます。たとえば「今日はなんだか楽しそうだね。」それはあなたの日々を気にかけれくれているから その人だけが気づくあなたのいつものとの違い。その気にかけてくれることが、すでにギフトなのです。多くの贈り物があなたの周りには存在します。目に見える贈り物以外に気づけるようになると世界が広がり、心豊かな暮らしができるでしょう。そんな心の豊かさをブルームンで表してみました(→
ブルームンのタンブラーグラス)