鏡に映った文字を鏡文字といい 左右逆転していますが
なぜ、上下は逆転しないのだろう?と考えたことがあるのは私だけ?
鏡が左右対象に映ることは、日常生活をする上においても当たり前に知られていることで、これは左右ではなく「手前と奥」を逆転させているだけのことなのですよね。ガラス越しだと、左右だけでなく上下も逆さまで本当に真逆になります。中学校の時に習った、一点を中心にして等距離が逆になるということです。
時として、人も気持ちを「本音と建前」で真逆のことを云う時があります。親子関係において 小さな子供が「お母さんなんか、大嫌い!」と言ったりします。これは本音でもなく、建前でもなく本心なわけですが ここには絶対的な信頼感があっての言葉なのですよね。だから、恋人同士のケンカや夫婦の口喧嘩も信頼感があれば、「嫌い」も「大好き」と同義語になるわけです。
日本人は「本音と建前」を使い分けることが得意な民族です。全く正反対とまでいかなくても「つまらないものですが」と言って、一生懸命選んだ贈り物を手渡したり、大切な奥様や子供のことを「愚妻」や「愚息」と呼んだり、美味しく吟味されたご馳走を前に「何もございませんが、」と言ったり。
謙虚な姿を美徳とする精神は、集団で目立つことにより孤立することを避ける昔ながらの知恵です。謙虚な心は素晴らしいことですが、あまり卑下してしまうと場が悪くなることもありますよね。なので、贈り物のお熨斗に「寸志」や「粗品」を選ぶより「感謝」や「記念」「御礼」が相応しいでしょう。
お祝いの贈り物を贈る気持ちも、「おめでたいことを一緒に喜びたい。」という素直な気持ちが大切ですよね。「遠縁かな。」や「時が経ち過ぎているかも。」などとためらう気持ちは謙虚というより卑下に近いかもしれません。
だれでも お祝いしていただくことは嬉しいことです。「おめでとう」「ありがとう」の言葉は心を和やかにします。贈り物をしようと考える時「いまさらお祝いを贈っても」という気持ちが湧いてくることがあるかもしれません。それでも「遅くなったけど、」と一言添えて贈ると「お祝いしようか、どうしようかな。」と悩んでいた気持ちがウソのごとく晴れるというものです。
早くお祝いを贈らなければと思えば思うほど、遅くなってしまうのもまた日本人の奥ゆかしいところ。ガラスに映し出された心と同じで全く逆のことをしてしまっています。それでも贈り物を贈ることで、何らかの関係の絆を紡いておきたいのがオトナのお付き合いというもの。「お祝いの日は過ぎちゃったけど 一緒に喜びたいな。」と思い当たることはありませんか?オリジナルギフトで一発逆転ホームランです(^^ゞ