いつかみた風景
美しい秋の紅葉の季節となりました。燃えるように赤く染まった山々、黄色く色づく公園の楓たち。当店の工房の銀杏や紅葉も今を盛りと、美しく庭を彩っています。
そんな紅葉シーズン、町のあちらこちらでコスモスを見かけることはありませんか?最近は休耕田に春はれんげ、夏はひまわり、秋はコスモスなどを植えると補助金がもらえたり、農地の荒れを防いだりするそうですが、まあそんなことはさておいても、荒地をみるよりピンクや白の風にゆらぐコスモスを見ると心が癒されます。
もちろん 見上げる美しさの木々の紅葉は見応えがあるものですが、心にしっくりくるのはコスモスの方ではないでしょうか。どちらも心を癒してくれますが、コスモスのあたり一面をピンクや赤、白で覆うかわいらしさは圧倒感なく ほんわかやさしい気持ちにしてくれます。
これは私の勝手な推測なのですが それは視線の高さにあると思うのです。木々の紅葉は見上げてみます。落ち葉は下を向いてみます。でもコスモスの花は同じ目の高さでみます。視線を上げることもなく下げることもなく見ることができることが、ほんわか優しい気持ちにしてくれるのではないかと。
人とのお付き合いも同じことです。いつも上ばかり向いていては疲れますし、かといって下を向いても疲れます。同じ目の高さの人とのお付き合いは心も疲れづらいものです。なにをもって同じ目線かというとそれは価値観の共有といえるでしょう。手作りの品に興味がある人は、手作りの品をもらうことを喜びます。それはその品に対する価値を十分に理解し、その品にもまた贈った相手にも敬意を表するからです。
逆に既成のものや現実的なものを好む人は、そういった手作りの品にあまり価値観を見出しません。しかし日本人は骨董などの工芸品が好きな民族です。昔から床の間には掛け軸といった絵画、玄関には骨董の花入れなどを飾ることを由としてきました。工芸品ほど金額に差があるものはありません。でも、お家に洒落た花入れや絵画がかざってあるお家なら、工芸品の原点である職人の作った手作りの品に興味があることは間違いないでしょう。そんな価値のわかるお家にわたしどものガラスギフトが届けられると信じ、毎日腕を磨いてます。