神戸の震災から19年。
この震災の2週間後に私は次女を出産しました。
人には忘れてはならない日というものがあると思います。大事な人の誕生日はもちろんのこと、楽しかった思い出の日や忘れようとしても忘れられないほど悲しかった日など・・・
19年前の阪神大震災の日、当時出産を控えていた私は長女と一緒に寝ながら 地震の揺れで目を覚まし、長女を抱えるようにした後 何事も起こらないと思うと再び眠りにつきました。同時刻に神戸でなにが起こっていたかなど 想像もせずに・・・
その後、いつもどおりに朝起きて、テレビ報道の内容に唖然。自分自身が学生時代 関西に住んでいたこともあり テレビから流れてくる地名も耳慣れたものばかり・・・・出産を控えて、仕事の量も減らしていたので ただただ震災の報道番組を見続ける日々でした。
出産は、個人病院ではなく公立の赤十字病院で出産する予定だったので、病院に行くと多くの医師や看護師さんが淡路島の方に応援に行っているということで、空気が重たく感じられました。基本的に出産は病気じゃないので、病室といっても明るいものなのですが、震災時、淡路島は鳴門海峡大橋をはさんですぐ隣なので誰ひとり他人事に思えず 病院がいつも騒がしかったのが印象的でした。当時はインターネットも大して普及しておらず、自らが情報を得たりする手段は少なく、テレビの報道番組や友人や親類からの話、また心配している人たちに安否を伝える手段がメールではなく電話だけだったりと、人やニュースの声が情報を受け取る手段だったからかもしれません。
また、そんな中で印象的だった出来事が 今でも私の原体験となっている同じ日に生まれた赤ちゃんがダウン症だったことです。ご両親が最初からその病気を知っていたか、知らなかったかは聞くことはありませんでしたが、ご両親ともがその赤ちゃんを優しく愛おしんでいらっしゃるのは誰の目からみても分かりました。その赤ちゃんの家は私の実家の近くで 上にお兄ちゃん、下に弟くんと 男三兄弟で元気に過ごされています。
阪神大震災は 当時私に命の尊さについて また、どのような状況下においても 人をありのままで受け入れることについての大切さを教えてくれました。出産前後だったので その想いは普段より私に深く響いてきました。「人は生まれ、死ぬ」その繰り返しが歴史を作っていることなど頭で分かっていても、一度に多くの被災した人を目にし、生まれつきハンディを背負った子を目にし、自分もまた命を産み落とした時 長女の出産の時のような ただただ嬉しいだけの感覚ではなく「母性」というものを強く自覚した気がします。
ただ、悲しいもので 子育てをするなかで 子供に対して「もっと背が高かったら。」や「もっと頭がよかったら。」や「もっと脚が早かったら。」など、親の欲がでてしまうことがあります。そんなとき この震災の日のことを思い出し 心をスタートラインに戻すことがあります。記念日とは「初心忘れるべからず」の大切なお守りであったりもするのです。